肩こり、腰痛はもちろん、骨盤矯正にも対応!那覇・新都心のカイロプラクティック整体院

院長の人物像

院長のプロフィール

基本情報編

●名前
 大多登志雪

1歳10カ月

●生年月日

 昭和34年(1959年)6月8日(54歳)

【豊見城高校野球部で言えば、元巨人・赤嶺投手と2学年下の元阪急・石嶺捕手の間の学年】

●出身地

 北海道北見市

【北海道でも東部の流氷(見たことあるかな)が流れ着く地域。その後、道内の室蘭、愛知県と移り住む。大学進学で上京してからは、埼玉、千葉にも在住】

●学歴・職歴

 早稲田大学を経て、テレビ番組制作会社、新聞社(スポーツ新聞)に勤務。

【長野五輪など、アマチュアスポーツを取材、25年間の会社員生活にピリオドを打つ】

●カイロプラクターになった理由

 残り人生を「健康」というキーワードを軸に生きていきたい

【他のカイロプラクターのプロフィールを読むと、自分が身体を壊し、その過程でカイロプラクティックに出会い感激した、というストーリーが実に多い。

しかし、私はこれまで大過なく過ごしてきた。現在も概ね健康。でも、人間、年をとり周囲を見渡すとよくわかる。「健やか」は人生のベースだと。

会社員人生で培った地位なんて、定年とともに簡単に消えてしまう。蓄えたお金だって、健康あってこそ。

患者さん一人ひとりのすべての症状を体感することはできないが、治った先にある「すがすがしい近未来」を手に入れるお手伝いをさせてもらいたい】

●趣味
 今は経営本を読むこと
 今はめっきりやらなくなったゴルフ
 今はめっきりやらなくなった野球(大学時代、軟式で全国大会準優勝のベンチウォーマーでした)
 来たぞ沖縄!マリンスポーツ

【ゴルフセットに、サーフボード、それにカイトサーフィンも
運んできたが、いつになったらやれるのだろう】


自分は何者?

雪の中で4歳

高校生になり、五木寛之の本を読み出した。

舞台は満州。かの地で交わされる「内地」という言葉に、
聞き覚えがあった。

確かに、小学校4年の途中までいた北海道では、
本州のことを「内地」「内地」と言っていた。

初めて気づいた。「そうか、自分は外地の子だったんだ」って。

そして、時を経ること約30年。

久しぶりに「内地」という響きに接する。

沖縄だ。ここも「外地」なんだ。どうりで、似た“空気”がある。
政治、経済、社会といった基盤が、
言いようのない「疎外感」の上に成り立っている。

ただ、「ナイチャー」という言い方は、北海道ではしないなあ。

生活の拠点を那覇に移し、改めて自問する。
私は何者?

もちろん、ウチナーンチュではない。
正確には、ナイチャーでもない。
しいて言うと、東京という内地の象徴に同化できなかった
「ガイチャー」かな。

あの日、心を奪われた日

小学校低学年、スキーは道産子の必須科目

沖縄の少年の姿を見ると、やけに心がなごむ。

理由は、在りし日の自分に似ているからだろう。
痩せてはいるが、決して華奢ではない身体。
真っ黒に日焼けした腕。
そして、なにより野球帽の下は坊主頭。

そう、野球少年が多いんだよね。

2010年は、W杯イヤーだ。
東京のテレビからは、
雨あられのように侍ブルー情報が流れてくる。

実際、以前の居住地・千葉は、長嶋茂雄を輩出し、
野球王国といわれているが、
それでも、街には襟足をグーンと伸ばしたサッカー少年の方が目立つ。

私が野球をやり始めて2年目の昭和44年(1969)。
夏の甲子園は、ひとつの曲がり角に立っていた。

決勝は愛媛・松山商と青森・三沢。
両校譲らず、延長18回0-0で再試合となった。

井上-中村の継投で振り切った松山商が、優勝校となったが、
本当の勝利者は1人で投げぬいた三沢の太田幸司。

その後、甲子園は高校生スターの育成牧場としての意味合いを加えた。

そーんなことは、お構いなく、その決勝2試合に心を奪われたのは私。
それから40年。自分の人生は野球と共にあった。

決して上手かったわけではない。
甲子園なんて、夢のまた夢。
大学では軟式で全国大会準優勝したが、
これも後輩にポジションを譲り出番なし。

それでも、その後の仕事で野球と関わりを持て、
それはそれで、幸せなひと時と言えた。

野球はいいよ。

実に楽しく、奥の深いスポーツだ。
この夏、興南・島袋クンの姿に、
日本中の少年の何人が心奪われるだろう。


ひとつ先の未来を語ろう

カイロプラクターが、整体師が…。
いやいや、柔道整復師が…。
いやいやいや、整形外科医が…。

誰だっていい、
健康に携わる人間自身が、
あまり健康じゃないって不自然な気がする。

同業者サイトのプロフィールを読むと、
ほとんどの人が過去に体調を崩し、
それをある手技で治してもらい、
感動・感激して、今度は治す側になった、
というお話。

仕事を、身体の不具合や心の病気で辞めざるを得なかった人が、
他人の不調に関わる。

完治しました、っていうのならOKだろうが、
意外と引き摺っている施術者って多いんだよね。

なんか変でしょう。

元デブのダイエット・インストラクターならいいが、
今もデブのインストラクターでは説得力がない。

もちろん、痛みが分かるなど、
経験者ならではの利点もあるでしょう。
しかし、症状はすべてその人次第。
すべての人の症状を経験しているようでは、
身体はボロボロ。

一方、私は概ね健康に過ごしてきた。

痛さについて、
辛さについて、
すべてを分かる施術者でないかもしれない。

しかし、治ったら何をしたいか。
ひとつ先の明るい未来を、
聞かせてもらえる施術者になりたい。

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